べっく日記

偏微分方程式を研究してるセミプロ研究者の日常

イシューからはじめる。

ゴールデンウィークが終わり、現実に戻り?研究を再開する人も多い気がする。

 

さて、2〜3ヶ月前に「イシューからはじめよ」を読んだ。一応ビジネス向けの本だが、研究に通ずるものがあるので、少し紹介したいな、と思う。実際に、私はこの本を通じて、研究に対する姿勢、また、先生や助教の先輩が実践していることを再認識した。

 

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

 

 

 

この本は、ざっくり言えば、課題や問題をどのように解決するかを説明している。

 

まずこの本は、タイトルの「イシュー」の説明から始まる。

イシューとは知的な生産活動の目的地

確かに、目的地が決まってないと解決に向かうことはできない。

 

問題や課題を解決する場合、まず、何を解決したいのかをはっきりさせないといけない。我々のよく陥りがちなミスとして、考えていたら、いつの間にか「悩んでしまっている」ことが挙げられている。考えることと悩むことの違いについて筆者は次のように指摘している。

悩まない、悩んでいるヒマがあれば考える。


「悩む」というのは「答えが出ない」前提に立っている。


仕事とは何かを生み出すためにあるもので、変化を生まないとわかっている活動に時間を使うのはムダ以外の何ものでもない。

 

ビジネス・研究ですべきことは「考える」ことであり、あくまで「答えが出る」という前提に立っていなければならない。

研究が進まなくて「悩んでいる」人は確かに多い気がする。ところで、今日はフランスの新大統領が決まったけど、政治について考えずに悩んでいる人は多い気がする。

 

さて、悩むのではなく考えなければならないのはわかったとして、大切なのは、「何を」解決したいのか、であった。以下、「何」を問題と定義しておく。

 

研究(もちろんビジネスでも)において大事なのは、「きちんと」問題を設定し、「意味のある仕事」をすることである。

 

毎秋、ノーベル賞授与の時期になると、恒例(?)の「役に立たなくても基礎研究に投資しよう」という論調を見かける。大隅先生は「オートファジーの仕組みの解明」したことで、去年ノーベル賞を受賞した。

 

オートファジー現象を否定する論文が発表される中で、大隅先生らはオートファジーの観察を続け、オートファジー現象の解明に成功した。大隅先生はこの研究について「役に立たない研究」と称しているが、「意味のない研究」とは言っていない。そう、研究は役に立つかどうから置いといて、意味がないとダメなのである。

 

意味のある仕事について、筆者は次のように述べている。

意味のある仕事は「バリューのある仕事」。「バリューの本質」は「イシュー度」と「解の質」の2つの軸から成る。


「イシュー度」とは「自分のおかれた局面でこの問題に答えを出す必要性の高さ」、一方「解の質」とは「そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い」を指す。


本当にバリューのある仕事をして世の中に意味のあるインパクトを与えようとするなら、「イシュー度」こそが大切だが、多くの人は「解の質」が仕事のバリューを決めると考えている。

 

「イシュー度」の低い問題にどれだけたくさん取り組んで必死に解を出したところで、最終的なバリューは上がらず、疲弊していくだけだ。
そうではなく、まずは「イシュー度」を上げ、その後に「解の質」を上げていく。


つまり、研究対象を「イシュー度」の高い問題、意味のある問題に絞る。

 

次に、絞り込まれたなかで特に「イシュー度」の高い問題から手をつける。この場合、「解きやすさ」「取り組みやすさ」といった要因に惑わされてはならない。あくまで「イシュー度」の高い問題からはじめる。

根性に逃げてはならない。

 

労働時間なんてどうでもいい。価値のあるアウトプットが生まれればいい。

研究対象を絞ることは、研究をスタートしたばかりの人にとっては困難である。そこで、指導教員の出番である(と筆者は言っている)。

 

と、以上私が挙げたことはこの本の冒頭に過ぎず、この本では、具体的に、問題をどう解決すればいいかについて様々な例を紹介して説明している。

 

繰り返しになるが、この本はビジネス向けの本だが、研究に通じるものが多々ある。筆者はアメリカの大学で学位を取得されているので、そこにおける研究体験談とかは非常に参考になった。

 

私も「意味がある仕事」を再開しようと思います。今週も頑張ります。