べっく日記

偏微分方程式を研究してるセミプロ研究者の日常

自分が誰の門下生なのか辿ってみた。

こんばんは。先日新宿御苑に初めて行ってみました。

 

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芝生はとても綺麗で、ずっと寝転んでいたいくらいふかふかであった。大学の中庭もこうだったらいいのになあと思いました。

 

さて、先日ふと「自分の指導教員の指導教員とかを辿っていくと誰になるんだろう?」という疑問が湧きました。やっぱりニュートンとかになるんだろうか。

 

ということで調べてみました。もし間違っているところがあれば教えてください。

 

まず、私の指導教員(だったというのが正しいけど)は柴田良弘先生です。柴田先生の指導教官は、柴田先生の「ルベーグ積分論」によると村松壽延先生のようです。

【訂正:2021年10月25日】正しくは松村睦豪先生でした。以下の記事では村松壽延先生だとして書いてあります。間違っていて申し訳ございません。しばらく下にスクロールしてもらうと、松村先生の指導教官についての記述があります。【訂正ここまで】

 

ルベーグ積分論

 

村松先生はべゾフ空間、ソボレフ空間に関する研究のプロです。

 

次に、村松壽延先生の指導教官は誰なのでしょうか。いろいろ調べてみたところ、どうやら「ルベーグ積分」の本を執筆した伊藤清三先生のようです。

 

参考: https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/library/file/gakui/rdoctor2018.htm

 

村松先生は1971年に学位を取られたようです。ところで、東大数理の論文博士の一覧を見てみると知っている先生ばかりで驚きます。また、伊藤清三先生は、増田久弥先生、藤原大輔先生(儀我美一先生の指導教官)、井上淳先生(小薗英雄先生の実質的な指導教官)、宮地晶彦先生らの指導教官であったようです。流体力学のメッカと言われた今井功研究室の影響もあって、伊藤先生はナビエ・ストークス方程式の解析をやられていたので、もし今井先生が東大にいなかったら日本でこんなにナビエ・ストークス方程式の数学解析の専門家は生まれなかったかもしれません。

 

ところで、柴田先生は村松先生の師匠は伊藤清先生、とおっしゃっていた記憶がありましたが、もしかしたら実質的な指導教官は違ったかもしれませんが、私にはわかりません。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。

 

では、伊藤清三先生の指導教官はどなただったのでしょうか。これは探すのにとても苦労しましたが、どうやら世界中の誰もが知る吉田耕作先生のようです。これは伊藤清先生がまとめた、吉田先生の論文集の前書きに書いてありました。

 

Collected Papers | Kôsaku Yosida | Springer

 

また、吉田耕作先生は、ナビエ・ストークス方程式の数学解析の「研究の祖父」として知られる加藤敏夫先生や藤田宏先生の指導教官でもあったようです。Wikipedia によると加藤先生の指導教官は寺沢寬一先生と書いてありますけど、寺沢先生は1943年に退官されていて、加藤先生は1941年に東京帝国大学理学部物理学科を卒業されているので、Wikipedia の記述は間違っているんじゃないかなと思います。

 

【訂正:2021年10月25日】この記事を公開後、何人かの知り合いから藤田先生の指導教官は加藤先生ではないか?と聞かれました。たしかに、藤田先生も加藤研の第1期生であることをおっしゃっているみたいなので、やっぱなんか間違っているのかなと思って、上述の吉田先生の論文集の前書きをもう一度よく読んでみたら

This volume was complied with the eager cooperation of the following mathematicians, most of whom were Yoida's students: Hiroshi Fujita, Daisuke Fujiwara, Takeyuki Hida, Teruo Ikebe, Seizo Ito, Yuji Ito, Tosio Kato, Tosihusa Kimura, Hikosaburo Komatsu, S. T. Kuroda, Shigetake Matsuura, Sigeru Mizohata, Shinzo Watanabe.   

と書いてありました。大変失礼いたしました。【訂正ここまで】

 

吉田先生まで辿ることができましたが、まだまだ20世紀から抜け出せていません。吉田先生の指導教官はどなたなのでしょうか。吉田先生くらいまで遡ると戦前の話になるので、現在とは博士号を授与する仕組みとかは変わってくるので、一概にどの先生のもとで学位を取得したかが曖昧になって来ます。というのも、戦前だと、学位の授与する基準が、Wikipedia によると

学位授与の資格は、帝国大学大学院に入り試験を経た者、または論文を提出して帝国大学分科大学教授会がこれと同等以上の学力ありと認めた者、もしくは、博士会が学位を授くべき学力ありと認めた者に、文部大臣が授けることとされた

だからです。

 

とはいえ、どなたかから指導を受けたのか気になります。調べてみたところ、吉田先生は吉江琢兒先生の指導のもと、1931年に東京帝国大学理学部を卒業したようです。

 

参考: Kosaku Yosida (1909 - 1990) - Biography - MacTutor History of Mathematics

 

吉田先生は卒業後も東京帝国大学で研究を続け(当時は大学院がなかった?)、論文を何本か執筆したのちに、1933年に大阪帝国大学理学部数学科の助手として着任されました。そこで、南雲道夫先生と角谷静夫先生と出会ったようです。その後、吉田先生は角谷先生と共同研究を行い、エルゴード理論に関して有名な論文を出版されました(Ann. of Math., 42, 188-228, 1941)。Wikipedia を見て初めて知りましたが、角谷先生は国籍をアメリカに変更されてたようです。もしや、と思って加藤先生の国籍も確認してみましたが、日本のままでした。国籍を変更する基準がよくわかりません。吉田先生は1939年に学位を取得されました。

 

さて、そうすると吉田先生の指導「教官」は角谷先生なのか?というとそうでもないような気がします。というのも、角谷先生も吉田先生と同じタイミングで大阪帝国大学の助手に着任されたからです。南雲先生とも年齢が近いので、指導「教官」というわけではないように思います。ということは、「指導教官だったか?」と考えるよりも、「誰の門下生なのか?」と考える方が、自分のルーツを辿っていく上でいいような気がして来ました。ということは、吉田先生の「ルーツ」は吉江先生にあると言っても良さそうです。

 

吉江先生について調べてみましたが、ほとんど資料が見当たりません。やはり100年以上前となると難しいのでしょうか。頑張ってみたところ、吉江先生は東京帝国大学理科大学数学科の第1期生のようです。当時、8人入学したらしいのですが、吉江先生以外に(留年せず)4年で卒業できたのは高木貞治先生だけだったようです。

 

参考: 吉江琢兒

 

このウェブサイトによると吉江先生は

一年志願兵として服役。退役後、ドイツに留学。ドイツの地で高木と合流。ゲッティンゲン大学で現代数学の父と称されたヒルベルトやクラインに師事し、微分方程式論を研究した

らしいです。Wikipedia を見ると、高木先生の指導教官は David Hilbert と書かれているので、吉江先生の指導教官も David Hilbert であると考えていいと思います。

 

【訂正:2021年10月25日】上で述べたように、柴田先生の指導教官は松村先生でしたので、上の話は少々ずれています。どうやら、松村先生の指導教官は溝畑茂先生で、溝畑先生の指導教官は岡博先生だったようです。岡先生の指導教官は誰なんだろうと思っていろいろ調べてみましたが、指導教官はいなかったみたいですが、上で紹介した吉江先生の影響を強く受けたみたいです。したがって「ルーツ」をたどると吉江先生に行きつく、と思ってもいいかもしれません(たぶん)。結局は Hilbert にたどり着くってことですかね?誰か教えてください。【訂正ここでまで】

 

さて、Hilbert まで辿ることができました。ヨーロッパの先生まできたので、この先を辿るのは簡単です(そう、Wikipedia ならば)。以下は辿ってみた結果です。

 

David Hilbert → Heinrich Martin Weber → Ludwig Otto Hesse → Carl Gustav Jacob Jacobi → Enno Dirksen → Johann Tobias Mayer → Abraham Gotthelf Kästner → Christian August Hausen → Johann Christoph Wichmannshausen → Otto Mencke → Jakob Thomasius → Friedrich Leibniz

 

残念ながらここで記録がなくなってしましたした。ただ、1622年まで遡ることができました。どうやらは私のルーツを辿っていくと Friedrich Leibniz に辿り着くようです(誰?)。

 

驚くことに、上に挙げた外国人は皆ドイツの人らしいです。私の研究分野にドイツのコミュニティが多いというのは自然なこと、むしろ Hilbert の影響が大きいのかもしれません。

 

さて、ひさびさにブログを書いたら深夜になってしまいました。そろそろ寝ようと思います。では。