べっく日記

偏微分方程式を研究してるセミプロ研究者の日常

911から22年。

みなさんこんばんは.べっくです.いろいろあって更新が途絶えていました.事情は ...... まあお察しください()


さて,今日久々に映像の世紀バタフライエフェクトを観ました.
www.nhk.jp


今回の内容は 911 同時多発テロのことでした.内容は正直微妙だったけど,過去の自分の記憶がフラッシュバックしたのと,後輩から「ブログ更新しないんですか?」と言われたので,せっかくなので過去の思い出話でもしようかなと思います.


父が転勤族だったので,幼少期の頃から引っ越しばかりしていました.生後半年くらいでシンガポールに行き,幼稚園に入るくらいのタイミングでアメリカのシカゴに行き,その後アメリカのニュージャージー州(Fort Lee)に行きました.そう,ニューヨークの隣です.小学校1年生くらいまでいました.当然ながら言葉なんてわからないし,正直なところ学校(現地校)が楽しかった記憶はなかったけれども,同じ小学校に通っていた日本人の同級生とは仲良くしていたけど,残念ながら名前を忘れてしまった.なぜだろう.顔はよく覚えているんだけどね.


当時は3人兄弟で,父はよく土日にセントラルパークとかに連れて行ってくれていた気がする.それくらいニューヨークのマンハッタンにはかなり近いところに住んでいた.実家で過去の写真を見てみると今は無きツインタワーをバックにした写真も見つかった.当時は,私は子供だったので,登ったことのないツインタワーよりも,登ったことのあるエンパイアーステートビルディングの方を気に入っていて,ツインタワーの方が大きいということをなかなか受け入れられなかったことをよく覚えている.おそらく安いミニチュアを買ってもらったのがかなり影響しているのかもしれない.


その後父の仕事の都合でシカゴに再び引っ越した.小学校2年生のときだった.犬を飼い始めたのもこのとき.なぜかはわからないけど夏休みは結構長めに日本に帰省していたと思う.実際に,体験?ということで日本の小学校に夏休み前の1ヶ月くらい通うことになっていた.ニュージャージー州に住んでいたときに小学校1年生になったタイミングで,土曜日だけ日本の教科書で学ぶ補習校に通っていたので,そこそこは学校の授業についていけたけど,日常会話などに困っていた記憶がある.実際に日本の小学校に通うまで「こんにちは」と「こんばんは」の違いがわからなかったと記憶している.当然ながら体験なので,夏休みに入るくらいのときに学校でお別れの会を開いてもらったと思う.


9月の2週目にシカゴに戻り,大きくなってしまった犬と遊びたいなと思っていたところに911同時多発テロが起きてしまった.ニュース映像が速報でテレビで流れていた場面を昨日のように覚えている.たった7歳だったのに.


いつものように,NHK の教育テレビでテレビを見ていたところに速報でツインタワーに突撃する飛行機の映像が流れ,母と叔母が絶句していたのをよく覚えている.これまでにないくらい真剣な声で「いま黙って」と言われたと思う.その後大きくなって知ったことだが,ニュージャージーに住んでいたときに通っていた補習校の同級生の父親や現地校の同級生の父親など,身近なところで何名か犠牲になってしまったようだ.当時,何も知らなかった自分はある意味良かったのかもしれない.いまでも本当に可哀想に思う.


同時多発テロが起きてから社会情勢が不安定になり,父は急遽帰国命令を受けたと思う(その割には出張が多かった気がするが).というわけで,日本に本格的に住むことになった.結局,お別れ会を開いてもらったのに再び同じ学校,同じクラスに戻った.個人的にやや気まずいなと思いつつも,寛大な心で受け入れてくれた同級生には感謝しかない(そうでない子もいたかもしれないけど).


その後,日本には1年弱しかおらず,程なくしてタイのバンコクに引っ越し,その1年半後に香港に引っ越した.いろいろ友達はできたと思うけど,当然ながら当時はラインはおろかメールでやり取りするような環境ではなく,連絡手段は電話であった.当たり前だけど,引っ越してしまえば連絡が途絶えてしまう.そういうわけで,バンコクでできた友達とは今でも疎遠だし,お互いにあまり覚えていない ...... と思っていたけど,大学4年生のときに取ってた体育(テニス)の授業で偶然にも同級生(そのときは TA)と再会し,お互いになんとなく覚えていたのは流石に感動した.なんだかんだ人間の記憶力ってすごいんだなと思った.


さて,話を戻すと,いま挙げたものは例外であるけれども,小学校4年生までにできた友達とはほとんど疎遠 ...... というか覚えていない.楽しかったという記憶はあるのに,なぜだろう.不思議だ.一方,香港の場合は,小学校をそこで卒業したということもあり,同窓会に呼ばれて以来,記憶が保持されている.でもみんなではなく,ごく狭い範囲だけ.一度でもいいからまたみんなに会ってみたいけど,きっと叶わないと思うと少し寂しい気持ちになる.


ところで,先月末にドイツのカールスルーエ工科大学に行き,共同研究者 P. T. さんに数年ぶりに会った.いろいろ話すことができてよかった.対面で会って再確認したけど,やはり Zoom とかよりも対面で会う方が,たとえ短時間であったとしても記憶によく残ると思う.夏休みとか旅行とかの思い出はよく覚えているとかそういう類のものなのだろうか.とても不思議に思う.彼も話していたけど,コロナで学術交流がいろいろ分断されてしまったのは勿体無いなと思う.今までは偉い先生方が用意してくれた「道」に従って,比較的容易に海外の人たちと交流できたけど,そういう偉い先生方はいずれはご引退されてしまうので,今後は先輩や後輩または私が,偉い先生方がやってきたのと同じようにやっていくことが大切なのかなと思った.海外の人と協力すれば立派な研究ができるというわけではないけど,せっかくのご縁は大切にしていきたいなと思う.人として.


一期一会というわけでもないけど,いろいろな人と知り合い,しかも対面でいろいろと話せるのはかけがえのない行為なんだなという気がしてきた.毎年 911 同時多発テロに関する放送を目にするたびに,自分が何事もなく生きていて,まだいろいろと語ることのできる家族や友人,知人がいることは幸せなことなんだなと思う.実際に,それをすることができない人もたくさんいるわけで.昔紹介したD・カーネギー著の「道は開ける」

watanabeckeiich.hatenablog.com

にも書いてあったように,今日一日を全力で生きることを目指して頑張るしかないのかなと思う.今日という日はもう戻ってこないわけで.


最後はなんかまとまりがなくなってしまいましたが,今回はこの辺で終わりにしたいと思います.では.